2016年5月5日(木・祝)、ついにマロオケが東京初公演!今まで九州でしか観ることができなかったマロオケが、
サントリーホールで、モーツァルトの6大交響曲というド級のプログラムでわたしたちの前に現れます!
音楽評論家・奥田佳道、そしてN響コンサートマスター・篠崎史紀、旧知の仲であるおふたりにマロオケを語っていただきました!
全四回でお楽しみください!
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結月 あと、怒られそうなことを言ってしまうと、今のオーケストラって女性が多いんですよ。まあ、男は演奏者を目指しても食っていけないと困るっていう事情があるからなんでしょうが、わたしはオケだけは男がやるのがいいと思うんです。どうしても女性が多くなると、音がちょっと… わたしは普段は女性崇拝なんですが、オーケストラだけは男がやるものだと思うんです。
奥田 ほう!
結月 ベートーヴェンなんか、あれって男臭くて、男のハートがムンムンな音楽だから、あの音って女性が出せる音じゃないと思うんですよね。これは差別しているんじゃなくて、男女の特徴の区別という意味で。
奥田 みんなきれいに線が細くなって、音はメタリックっていうか、ちょっと金切声っていうのが多くなって、膨らみとか、うねりとか、広がりとかがなくて、上澄みだけきれいな均一した音になっちゃう。
マロ 女性が多いとね、計画通りにはいくんだよ。
奥田 間違いは起こらない。
マロ そうそう。
奥田 本番の録音を後で聴いたりしたときにディレクターのひとは喜んだりするの。直すところないですねとか、縦の線もバッチリですよねとか言ってね。
マロ 予定通りなんだよね、全部。
奥田 予定調和だね。
結月 わたしは思うんですが、音楽だけでなく、芸術って破綻がありそうなスレスレのところがいいんですよね。
マロ そう! ギリギリのところがいいのよ!
結月 ほんとに破綻しちゃたら駄目なんですけど、ギリギリの危ないなってところまで行って、ヤバさがあるのがおもしろいんですよね。
マロ バランスが取れてるのも悪くはないんだけど、本当はオタクがいいんだよね。女性が気持ち悪がるくらいのオタク。
奥田 ところで、弦は曲でシーティングは変えるの?
マロ 変えるよ、もちろん。
奥田 マロはずっと頭(トップ)だけど、マロの隣とか、セカンドのトップとかは曲ごとに変えるつもり?
マロ 曲ごとに変えてもいいし、休憩ごとに変えてもいいし。
奥田 それはファンの楽しみになるね。弦のひとたちのフォーメーションを見るのも楽しいですから。
結月 お客さんから見たら、国内プロオケのコンサートマスターがセカンドバイオリンの2プルトとか3プルトで弾いているって、衝撃的な光景でしょうね。
マロ っていうかね、気がついたらみんなコンマスになっちゃってたのよ。
結月 出世したんですね!
奥田 だから、昔よりもひと集めるのが大変になってしまったよね。みんな、忙しくなって。
マロ そうなのよ。要するに国内奏者のトップが集まってとか言うけど、王子でやり始めのころは、みんな肩書きもなく、ほんとに楽しいメンバーで集まっていただけだったんだよ。
奥田 マロは全国のコンサートマスターに声をかけてスーパーオーケストラを創ったんじゃなくて、マロと遊んでいた弦楽器の仲間やアンサンブルの仲間が、今、結果としてみんな要職に就いたっていうことだよね。
マロ そうなんだよ。
奥田 ファンが見ると喜ぶ肩書きのオンパレードも、実はそっちが先じゃないんですよね。あとは言葉にすると照れくさいですけど、やっぱマロオケは男のロマンですよね。
マロ ああ、それはその通りだよね。
結月 ロマンティシズムって男のものですからね。
マロ そう、言えてるね。
結月 一方、女は現実的なところがあります。
マロ そうなんだよ! その現実主義っていうのが、たまに邪魔なんだよね。間違いがなくていいんだけど。ちゃんと外側でコントロールしてくれるのは非常にありがたいし、いいんだけど、たまにそれが窮屈に感じるときがあんの、演奏を通じて。
奥田 だから、逆説で言えば、手っ取り早くまとめるには弾ける女性がいたほうが早いってことが言えるよね。
マロ ああ、そっか! そういうことか! 逆説的に見るとそうなるんだ。手っ取り早いか!